台湾斎 (芹澤知広)
- 2009/07/03
- 芹澤知広
私は今まで、ベトナム・ホーチミン市にて、華人(民族として中国系の都市住民、ベトナムでの公式名称は「ホア族」)の宗教施設の調査を断続的に行って きた。マルグリット・デュラスの小説で有名なチャイナタウン、ショロン(チョロン)を歩き回り、会館(同郷団体の事務所と民間信仰の神殿が一緒になった もの)とカトリック教会を訪れ、友人と一緒に社会主義と民族文化についてのメモを発表したのは、もう10 年以上も前のことになる。
その後、香港や日本の知人からも共同研究に誘われ、ベトナムでの共同研究者にも恵まれて、ホーチミン市やメコンデルタの諸都市の、いろいろな宗教施設を訪問する機会をもつようになった。
じつのところ私のベトナムの食文化に対する学問的興味も、ベトナムや香港、そして日本の共同研究者と出かけた調査旅行で、一緒に飲み食いをするあいだに芽生えてきたと言えるかもしれない。一緒に卓を囲み、目の前に出てくる料理の説明を聞きながら、ゆっくり食事をすることは、文字どおり私には「身につく」異文化の学びかたのように思われる。複雑な心境ではあるのだが、日によっては宗教施設の調査の成果よりも、食文化研究の調査の成果のほうが、質・量ともに多かったりもする。
ところで、私がとくに仏教寺院を選んで訪れるようになったのは、近年のことだ。福建省に祖籍をもつ人々の会館が仏教寺院と関係が深いということがあり、またベトナムの共同研究者が仏教の専門家だということもあって、仏教寺院を多く回ることになった。(詳しくは、Satohiro Serizawa, “The Fujian Chinese and the Buddhist Temples in Ho Chi Minh City, Vietnam,” Yuko Mio (ed.) Cultural Encounters between People of Chinese Origin and Local People: Case Studies from the Philippines and Vietnam, Proceedings of International Workshop, Tokyo: Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, Tokyo University of Foreign Studies, 2007, pp.65-75. を参照。)
2006年の夏にはホーチミン市を離れて、ダラットへも出かけた。ダラットは、フランスが20世紀に開発した避暑地で、ホーチミン市のお坊さんの夏安居(なつあんご)のためのような寺院も多い。去年の調査期間はちょうどお盆の季節だったので、あちこちで儀礼の後の直会(なおらい、これは日本の神道の用語)のような宴に招かれ、精進料理をご馳走になることも多かった。
あるショロンのお寺の食事に招かれた時、隣に座った居士(こじ、在家の仏弟子)が、私にある皿を指して、わざわざ、「これは『台湾斎(トイワンチャーイ)』だ」と広東語で説明してくれたのを聞いたのが、「台湾斎」ということばを聞いた始めである。「斎」とは 「ヴェジタリアン」のことで、菜食を採ることを広東語では「食斎(セクチャーイ)」という。なお、ベトナム語でも同じく「チャーイ」ということばを使う。
その時は、いかにもハムそっくりの色、かたち、匂いのするものが皿に載っていた。この食材は「台湾から来た」と言うので、この人は台湾からの輸入「素食」食品のことを、簡単に「台湾斎」と言っているのだと思い、それほど気にはしなかった。
しかし2006年の夏、引き続き仏教寺院を回っていると、複数の場所で、複数の人から「台湾斎」ということばを聞いた。このことばは、ある種の食品を指す一般名称として、少なくともホーチミン市の華人仏教寺院のなかでは共通理解をもって使われているようなの だ。
私はそのことに興味をもち、「台湾斎」について少し聞いてみることにした。ある寺で聞いた説明では、以前は台湾から輸入していたので高価なものだったが、今ではベトナムに工場もあるので安く手に入るようになったらしい。
また、別のお寺で知り合った人に、そこのお坊さんと一緒に精進料理の店に招かれた。広東語が通じる華人の店で、どちらかというと香港式の精進料理だと言う。この店を選んだ理由としては、そのお坊さんが「台湾斎」を好まないということがある。たしかに出された料理は、あっさりしていて、私が香港で食べなれている精進料理に近い。豆腐などを使った料理も、それほど無理なく素材が何かを判断できる。
私は台湾の本格的な精進料理を今まで食べたことがないので、本格的な比較ができないが、どうやら彼らに「台湾斎」として名指しされている食材や料理法は、本物の「肉」そっくりに加工・調理された食べ物のようである。日本にも「がんもどき」(「飛龍頭(ひろうす)」とも言う)と言われている、豆腐が原料の「素食」食品がある。植物性たんぱく質を使って動物性たんぱく質の食品を模倣することは、東アジアの精進料理に共通する特徴である。しかし、現在台湾で見られるその種の食品は、人々の要求とそれに応える技術の点から見て、日本、香港、ベトナムなどが到底及ばないほど、際立っているようなのだ。
今のところの私の整理では、ホーチミン市の華人がお寺や専門店で食べる精進料理のメニューには、次の3つが少なくともあるようだ。そして、これらが別々に出されるのではなく、同じテーブルに並べられることもある。
- 「安南菜(オンナムチョーイ)」、ベトナム料理の精進料理(もともとベトナム料理には多くの野菜が使われる)
- 「港式(コーンセッ)」、香港式の中華料理の精進料理
- 「台湾斎(トイワンチャーイ)」、台湾式の台湾の加工食品を使った中華料理の精進料理
その例のいくつかを以下でお目にかけよう。

写真1: ホーチミン市の華人仏教寺院における精進料理
ホーチミン市の華人仏教寺院における精進料理。手前の野菜炒めに入っているハムのようなものは「台湾斎」。右上の茶色いスープ状のものはカレーで、左側の皿に載せているフランスパンをつけて食べる(これはベトナム料理)。

写真2: ホーチミン市の華人仏教寺院における精進料理
ホーチミン市の華人仏教寺院における精進料理。左下の笹身のようなものが「台湾斎」。左上のスープは「酸湯」(シュントーン)と広東語で言われる、ベトナム料理。

写真3: ホーチミン市の華人の廟(民間信仰の神格を祀る)における精進料理
ホーチミン市の華人の廟(民間信仰の神格を祀る)における精進料理。右側に盛られた白い麺は、ビーフンではなく、ソーメンに近い。この廟を祀っている人たちは潮州人なので、福建の文化圏(広東省潮州地方は福建省に近い)で食べられている麺だろう。

写真4: ダラットの華人仏教寺院における供物
ダラットの華人仏教寺院における供物。右側のピンク色の餅は、潮州人特有のもの。中央の春巻きは、ベトナム料理の春巻き。インスタントラーメンやインスタントビーフンも、ヴェジタリアンのものが選んで供えられている。

写真5: ホーチミン市のキン族(ヴェト族、広東語では「安南人」)の仏教寺院における精進料理
ホーチミン市のキン族(ヴェト族、広東語では「安南人」)の仏教寺院における精進料理。左下のものはエビに似せてつくってある。中身は根菜類を原料とした粉で固めたような味だった。中央の皿は、海苔のような海草を揚げたもの。

写真6: ホーチミン市におけるベトナム料理の高級精進料理店の精進料理
ホーチミン市におけるベトナム料理の高級精進料理店の精進料理。中央は大きな茄子を使ったもの。右のスープは、「すっぱいスープ」。

写真7: ホーチミン市における華人の精進料理店の精進料理
ホーチミン市における華人の精進料理店の精進料理。豆腐を使ったもの。

写真8: 香港における精進料理店の精進料理
香港における精進料理店の精進料理。

写真9: ホーチミン市における精進料理の惣菜店
ホーチミン市における精進料理の惣菜店。

写真10: 香港における精進料理の惣菜店
香港における精進料理の惣菜店。

写真11: 台北における精進料理のファーストフード店の牡蠣(カキ)入りあんかけそば
台北における精進料理のファーストフード店の牡蠣(カキ)入りあんかけそば。牡蠣入りあんかけそばは、台湾の有名な料理だが、精進料理では本物のカキは用いられない。なお香港では、精進料理に本物の牡蠣が使われていることもある。
広東語では牡蠣の養殖について、「田んぼに種をまく」という表現が使われる。広東の文化圏においては、牡蠣は植物に分類されている。

写真12: あるホーチミン市の華人仏教寺院の祭日に仏壇に供えられた料理
あるホーチミン市の華人仏教寺院の祭日に仏壇に供えられた料理。にんじんを切って飾りにするのは、日本の影響かもしれない。

写真13: 上記の寺院における祭日のメニュー
上記の寺院における祭日のメニュー。おめでたい名前が付いているので、どのような料理なのかは、皿が運ばれてくるまではわからない。

写真14: 上記の寺院における祭日の料理
上記の寺院における祭日の料理。前菜はベトナム風のハム。もちろん精進料理。

写真15: 上記の寺院における祭日の料理
上記の寺院における祭日の料理。中華料理の精進料理のコースだが、ベトナム料理の揚げ春巻きも含まれている。敷かれている野菜は苦味があるが、胃腸にいいと言われていて、ベトナム料理のお粥を食べる時に、少し加熱して一緒に食べたりすることもある。
注: 本稿は、2006年に奈良大学社会学部ホームページに掲載した「ベトナム食文化メモ(1)――『台湾斎』」を改稿し、写真を追加したものである。

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